引きこもりになると劣等感で友だちと疎遠になりませんか。
引きこもりを経験する前は、引きこもりになるような人が、そもそも友達が少ない人・・・・・・というイメージがありました。ですが引きこもりを経験してわかったことは、引きこもると友達がいなくなる。または疎遠になるということです。
引きこもりになるから友だちがいなくなる
引きこもりになると劣等感が強くなってきます。
長期に及べば及ぶほど、どんどんと自分に自信がなくなっていき、「何もできない自分はだめなやつ」そう思うことが多くなりました。
すると他人と比べたときの劣等感が強くなり、外を歩けば「誰かから責められるんじゃないか」「なにか思われるんじゃないか」という恐怖で外を歩くのすら怖くなります。
本来ならばまったく攻撃性のないはずの初対面の人と話すことが物凄い恐怖。
そういった劣等感から、友達ともだんだん会えなくなってくるのです。
会えない理由
友だちに会えなかった理由は下記の3つ。
①普通に生きられている人を見るのが苦しい
まず一つ目の理由は、普通に生きている人達を見るのが苦しいということです。
たとえどんなに苦労していたとしても、引きこもりの私達からすれば彼らは普通に社会で歓迎され、生きている人間のように見えます。(もちろん裏ではたくさんの苦しい思いをしている人はたくさんいますが。)そういう人達を見れば見るほど、自分がダメなような気がして勝手に傷ついていくんですね。
それが分かっているから、自分が傷つくことを避けるために会うのを控えるようになります。
②頑張っている人を見るのが苦しい
二つ目は、頑張っている人を見るのが苦しいことです。
社会人になると友達に会うと、仕事や家庭での大変な話が話題の中心になります。
その点自分は、仕事も結婚も子供もいない。その気持ちがわからないし、同じ苦労をしていないことが申し訳ないしで、頑張っている人を見るのが辛くなるんですね。
③その人の時間を使わせるのが申し訳ない
三つ目は、その人の友達の時間を使わせるのが申し訳ないということです。
自分に自信がなさすぎて、自分のような人間とわざわざ会っても何も楽しくないんじゃないか。
有意義な時間が過ごせないんじゃないか、という結論に至ります。
その友達の大切な時間を奪うのが申し訳なくなり、だんだん会うのを控えるようになるのです。
会っても話すことがない
それに、こういった劣等感を抜きにしても、友達と会ったとして話すことがほとんどないのです。
それこそ趣味の話しかしないような友達ならばいいですが、会社の事や仕事の事や結婚のことについて話すような友達であれば全く付いていけません。ついて行けないどころか思っている分、引きこもっている分の時間は止まっているので成長という成長もしてないんじゃないか。
引きこもっているからといって、成長をしていないかどうかはまた別の話かもしれません。
しかし、当の本人(じぶん)はそう思い込んでいるので、誰かと会って「こいつ何も成長してないな」「何も変わってないな」と悪い意味で思われることがとても怖いのです。
自分からだんだん離れていく
しかもその上、心はビクビクして傷つきやすい状態です。
かんぜんに自信がなくなっているので、友達がとくに傷つけようとして言った言葉じゃなくても、傷つく可能性があるのがわかっているんですね。だからだんだんと距離を自分から距離を置いていきます。
自分も友達はそれほど少なくないと思うのですが、ほとんどの友達を切ってしまったので今はほんの数人しか残っていません。
孤立で社会復帰は遠くなる
別に友達が多いことがいいことだとは思わない私ですが、こういった孤立で社会復帰が遠のくことも確かです。
知り合いや友達がいないということは、それだけ誰かの力を借りられないということにを意味します。自分の力だけで立ち上がらなければいけないので、より難易度が高いです。それにより、引きこもり期間が長期に渡る可能性が高くなります。
溜まった劣等感が立ち振るまいに影響する
引きこもり期にたっぷりと蓄積された劣等感も厄介です。
劣等感は自分の立ち振る舞いにも影響するからです。
劣等感から目を見れずに話せなくなる人もいますし、言葉を喋っていても常に自信がなさげに見えてしまう人もいます。
すると誰かと友達になろうとしても敬遠されてしまう人もいるでしょうし、どこかに就職しようとして面接に行っても、「この人自身がなさそうな人だなぁ」という風に悪い印象を受ける可能性が高まります。
楽しく引きこもっていて、自信も全然減らないような強い引きこもりならば全然構わないと思いますが。
引きこもりを一度経験して自分の中での劣等感が強くなってしまうと、どんどんと悪循環が生まれてくるのです。
劣等感はいらない
じゃあ、1人の力で社会復帰は出来ないのか、面接の一つも立ち向かいないのかといえば違います。
私が社会復帰して思ったことですが、劣等感はあってもそれをなるべく表に出さないようにすればいいということです。
つまり演技でもいいから、根拠のない自信でもいいから、自信を持っているよう見せる。劣等感があるように見せないようにするということです。
もちろん完璧に隠すことはできませんが、多少なりともマシな印象を相手に与えるでしょう。
一番いいのは役者さんのように、仕事中にスイッチを入れたら自信満々なスーパーマンみたいに振る舞えることですが、なかなか普通の人は難しいです。
だから何か一つでも、良く見えるように振る舞う。
目を見て話すことが困難な人であれば、声を大きくハキハキと話すようにする。声を出すのが苦手な人であれば、せめて笑えるようにする。女性の場合、あえて仮面を作るように濃い化粧をして顔を隠すのもいいかもしれません。そうしたちょっとした意識が大切だと思います。
卑屈にならないこと
これは社会復帰だけではなく、友達と会う時にも良い方法だと思っています。
いくら友達でも卑屈な人とは会いたいと思いません。
例えば、自信がなかったとして、いつも、「自信がない」「私はだめだ」と卑屈そうにしている人に会いたいとは思いません。それよりも「自信がないんだよね!」と包み隠さず明るく笑っている人、またはそれを自体を見せない人の方がやっぱり一緒にいたいと思います。
自分の知り合いにも一年くらい無職の人がいますが、その人は全然卑屈にならないからか、いつも友達とどこかに出かけています。
このように卑屈になるかならないか、それを表に出すか出さないかで全然違ってくるものだと思います。
友達と会ったほうがいいのか
とはいえ、そもそもの話、傷つくとわかっていても友達と会った方がいいのか。
これに関して、私の経験から言うと頑張れる範囲で会った方がいいと思っています。
でも全ての友達に会う人必要はありません。
同窓会のような、仲の良くない人が大勢来るような集まりには全然参加しなくていいと思いますし、友達であってもあまり心を許せないような友達の誘いに乗る必要はないと思います。
それよりも「この人になら大丈夫かな」という友達1人が2人にくらいには会う。
少しずつ弱みを見せることも大切かなと思いました。まぁこの辺はその人それぞれなので絶対とは言いません。
自分の場合ありがたいことに引きこもっていても、「会おう」と言ってくれるような友達が何人か居ました。もちろん断る時もありましたが、3回に1回ぐらいはその誘いに乗るようにしていました。話すこともあんまりないのもわかっていましたし、自分に成長のないことも分かっていました。劣等感もありました。「この人達は普通に生きているんだな」と思ったら傷つくこともありました。ひきこもりで劣等感が高まっている今、どんなに気をつけていてもむしろ傷つかないことの方が難しいと思います。
でも、反面そうやってごちゃごちゃ考えて傷ついているのは自分だけで、みんないい人で、とやかく言う人たちではないのでその優しさに救われた部分もありました。「友達がいること」それ自体が、結果的に自分の心のセーフティネットになっていました。
だから、本当に自分が大したことないと思っていても、相手の気分を害するんじゃないかと思っていても、傷つくとわかっていても、少しだけでも「会いたい」という気持ちがあるのであれば、ほんの少しだけ勇気を持って会うことをオススメます。まあどう転ぶかどうかは保証できないですが。
それでダメならもう次は行かなければいいと思います。そのくらいの軽い気持ちで出張行くのをオススメします。
おわり
まとめると、引きこもりになると劣等感が加速し高まり、友達にどんどん会えなくなります。
しかしながら、孤立すればするほど社会復帰も遠のきますし、精神状態もわるくなります。
できるだけ卑屈にならずに、ほんの数人でもいいので、会いに行きましょうというお話でした。
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